NOSM Special Report 音楽が盗まれた夜
Special Report
TDL.icon アルバート・ホールにいた聴衆は、まさに魂を盗まれたような思いだったに違いない。 9月5日に開催された特別コンサートは、アーサー・ガゥアーによる新曲が披露されることが発表されたため大いに注目を集めた。しかし、それ以上に関心が高まったのは《高潔なる窓辺の謎》が新曲を盗むと予告したことだ。倫敦中の新聞社に送られた予告状には、「Quantum auferre novum musicorum/新曲頂戴つかまつる」といつものように簡単に書かれていた。 その異様な雰囲気の中で始まったコンサートは、古典的なベートーベンから始まり、最近の作品なども演奏されていく。クレイトン財団の集めたオーケストラは、素晴らしい演奏を続けていた。
休憩が入った後の第二部、アーサー・ガゥアーが登場してこれまでの作品が演奏された後、ピアノの前に座っていたガゥアーは立ち上がり、聴衆へ向けて頭を下げた。いよいよ新曲の発表か。聴衆の期待も大いに高まっていく。指揮者が振り上げた指揮棒を振った瞬間にそれは起きた。いや起きなかったといっていいのだろうか。
オーケストラは演奏を始めた。
聴衆は皆、我が耳を疑った。ガゥアーが全身を揺らしながらピアノを弾いている。オーケストラも、これまで以上に力強い演奏を続けていた。しかし、その音は聴衆には届かなかった。オーケストラは演奏しているようだが、その音は聞こえなかった。それは自分だけなのか。周りをみまわせば、誰もがキョロキョロと頭を動かしている。そう、皆同じなのだ。
観客の様子は見えていないのか、ステージの上で演奏は続けられていた。まるで、自分たちの演奏が、聴衆に届いていることを確信しているように。
誰かが、叫んだ。音が聞こえないぞ。それにつられて騒ぎ出す人々。だが、そのような異常な光景もまるでなかったかのように演奏は続いている、ようにみえた。
声が届いていない。聴衆に演奏が聞こえないように、オーケストラにも自分たちの声が聞こえていないようだ。見えないガラスの壁が音をさえぎるように、お互いに聞こえないのではないかとの不安だけがよぎる。
クレイトン財団から特別に提供されたボックス席で警備を指揮していたリバーブロンズ警部は、この様子を見て気がついた。
《高潔なる窓辺の謎》の予告状!
新曲を盗むとはこのことか、たしかに、演奏はおこなわれている。しかし、その演奏も聴くものに届かなければ意味がない。
どのようなもの方法を使ったのかはわからない。おそらく、この演奏を聴いているのは《高潔なる窓辺の謎》だけなのだろう。この場にはいないかもしれない。またしても捕まえることはできなかった。
演奏が終わったのだろう。指揮者が動きを止めた。演奏を終えたオーケストラの面々は、期待していたスタンディング・オベーションではなく、怒号が飛び交う聴衆に驚いた。完璧な演奏であった。アーサー・ガゥアーの新曲は、これまでにない優雅さと力強さを実感させた曲である。その初演に立ち会えたことは素晴らしいことではないのか。
ステージ上に財団のスタッフが飛び出してきて指揮者とガゥアーに耳打ちした。ガゥアーの顔が蒼ざめていくのがわかった。
別のスタッフは、聴衆に向けて説明している。
本日の料金は全て返金いたします。
それでも騒ぎは収まることはなかったが、聴衆は徐々に落ち着きを取り戻していた。
結局、何が起きたのかは分からなかった。
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